目次
- 1日があっという間に過ぎていく
- 苦痛な時間を設ければ死の感覚も和らぐ
- 僕は同じことをやり続けたい派だが・・・・・・
- 日記を書いても変わらなかった
- 生産性のなさが焦りの原因なんだろうか?
- 結局どうしたらいいと思う?
1日があっという間に過ぎていく
今日もずっとゲームしていた。午前中はシャドバ。午後は城姫クエストを集中的にやって、進撃の巨人を見て、シャドバやって、天鳳したらあっという間にこの時間になってしまった。
生産性はまったくない一日だが、とても楽しい。
そして楽しいことばかりだと一日があっという間に過ぎていく。
それがとても怖い
中学生の時の1日を100とすれば、今は10くらいだろう。中学生が朝起きて、1時間目が始まって若干憂鬱・・・・・・くらいで今の僕の一日は終わっている。
高速で1日が過ぎるなら1カ月も1年もあっという間だし、もう死んでしまうのも遠くはないのではないか。そんな風に感じられる。
苦痛な時間を設ければ死の感覚も和らぐ
もっとも、この不安は苦痛な時間を長時間体験すれば、すぐに解消できる。「ああ、やっぱりまだ時はゆっくり流れている」と嫌でも実感できる。
しかし僕は苦痛な時間も嫌だ。なんで限られた人生の中でわざわざ退屈な時間を過ごさなければならないのか
楽な方に、快適な方に。自分が嫌だと感じたらすぐに逃げ、避ける。こんなことをしていると段々生き方が自分にとって快適なものばかりになる。
しかし快適すぎると時間はあっという間に過ぎてしまうし、それは怖いのでどうしよう。と悩んでいる
僕は同じことをやり続けたい派だが・・・・・・
脳の作用的に、新しい経験をすることで体感時間を増やすことができるらしい。
たとえばゲームをするなら3日ごとに違うゲームを始めれば、1日を長く感じられる。
だがそれも僕には難しい
僕は積み重ねたいと思う性質だ。下手の横好きは1番納得いかない状態だと思っているので、自分なりに納得するまで極めたい。
毎日狂ったように同じことを積み重ね、気づけば上達していたという方法でしか満足できない
極めたい派(ガチ勢になりたい派)は、極端に短くなった一生を過ごすしかないのだろうか
日記を書いても変わらなかった
1日1日を克明に記録しておきたい衝動に時々駆り立てられる。
なんとなく、1日の内容を思い出せれば充実した一日だったと思って寝床につくことができるのではないか と思ったりする。
そういう風に思い立って日記を書いてみるんだが、どうにも効果がない。というか一日が早かった日は気づけば寝る時間だったりするので書く暇がなくて結局グダるということが多い。日記はどうにも苦手な質らしい
生産性のなさが焦りの原因なんだろうか?
本当にどうしたらいいのだろう。もう家の中に娯楽がありすぎて、家の中ですべてが完結するもんだから、今日の天気も定かでない。
なんか成し遂げればいいんだろうか? 物でも作ったほうがいいんだろうか? ゲームなんて生産性のないことをしているのがいけないんだろうか
真面目に良く分からなくて、説明のつかない焦りが生じて、今こんな記事を書いている。
ふと思うのは、娯楽を享受しまくっただけで1日が終わっているのが良くないのだろうか
それとも全部一人で楽しむものばかりだからか? 多少面倒でも誰かと一緒に楽しめるものをやれば、こんな風に思わなくて済むのか?
何の論理性もない根拠ばかり出てくる。僕は娯楽を享受する今の生活は嫌いではない。こういう生活をあと2000年くらい続けていたい。
でもあと長くても60年くらいしか生きられないし、若い時期はもっと短いし、その有限性が片隅にあるから、「このままでいいのか」感が生まれるのかもしれない。
結局どうしたらいいと思う?
「何かしなくちゃいけないのでは?」という焦りに対しては、「生産性のあること」をするが一応の結論となるだろう。
俺の一日は充実していた。これで良かったんだと肯定するためには、一日が適度に忙しくないといけない。
あのホリエモンも死を意識しないようにわざと忙しくしていたというくらいだからきっとこの方法は有効だろう
じゃあ生産性のあることって、具体的には何すればいいのっていうと僕も良く分からない。面白い小説でもかけたらいいのにと思うんだけど、いざ書こうと思うとうまくいかなくて投げだして、娯楽に走る。
なんか適度に生産性があって、娯楽要素もあるような趣味が欲しい。 おすすめとかあれば教えてください。今のところ僕は麻雀の打ち子のアルバイトをやってみたいです