にーとの効率化

ずっと夏休み

行動を伴わない思考は無意味か?

行動主義の圧力

「うだうだいってないで行動しなよ。悩んだって仕方ないじゃん」

という意見が主流というか、強い。

就職活動をちょろっとしているときとか、卒論を製作しているときとか、はたまた恋愛やらなんやらいかなる時にも、行動することは思考するよりも価値があるものとされている。まあ、まだ上記は行動したほうが効率的だからという理由があるのかもしれないが、哲学をやりたいといっている人に対しても、哲学なんて意味のないものやってないで地に足つけなよ的な意見もちらほら聞こえたりするので、行動が合理的か否かにかかわらず、全体的に行動することは偉いらしい。

とにかく行動して成果を上げなければ意味がない。行動していないお前の意見なんて机上の空論、エアプ、誰にも参考にならないよ。という空気があるような気がする

さて、では本当に行動しなければ思考は無意味なのか?発言は無意味なのか。そんなことはないんじゃないか?と主張するのが今回の記事

 

主張の価値なんて受取人次第

例えば就職活動について発言していいという人はどういう人なんだろうか。就職活動を終えた人?インターンに応募した3年生?OB訪問しまくってる1年生?人事の人?

就職活動を全くしたことない3年生は就職活動したくないとか、嫌だといっても無意味だろうか?就職活動をあきらめちゃった人が、就活しなくてもいい気がするっていっても無意味だろうか。インターンに1回いって、面倒になってやめちゃった人は就職活動について行動した人に入るんだろうか。その場合就活について語っていいんだろうか。

行動すればするほど発言に深みというかリアルさが出るかもしれないけど、別にあんまり行動してなくても発言しちゃってよくないだろうか。

インターンにあまり行きたくなくて、行かなくても就活は大丈夫なんだろうかと考える人にとって必要なのは、インターンに行かなくても就職できた人の情報だろう。つまるところインターンバリバリの行動してきた人の情報はこの場合いらなくて、行動してない人の情報に価値が出る。

どんな人がどんな情報を欲しているかなんてわからない。行動しないと発言できないとか、経験してないけど何かを語るなんて恥ずかしいと思うのはなんかもったいないと思う。もったいない理由は後述する

 

思いついたことは今しか発信できない

発言者がどんなに価値のなさそうな中身のない人間でも、やりたいなら思考して、意見を発信していったほうがいいと思う。というのもその時の心情なり考えたことって、その時しか発信できないからだ。自分は中学生のころ毎日どうやって学校に通っていたのだろう。友達もいなくてなかなか辛かったのになぜ?と思いだそうとしても全然思い出せない。中学生だった自分というのは必ずいたんだけど、その時考えていたこと感じたことが全く思い出せない。記録にも残ってない。これが僕はすごく怖い。俺中学生だったんだよな・・・・・・?となる。今の自分も10年後には全く過去のなんの記憶にも記録にも残っていない存在になるんだろうかと思うと良く分からないけどすごく焦る。

お前の考えたことなんて無意味で無価値だよ。という意見に屈して何も残さないと10年後20年後ちょっと後悔するんじゃないか。

 

考えないと脳はどんどん委縮する

働けるうちは働くという意見はよく聞くが、思考できるうちに思考するというのはまったく聞かない。なにか真面目なことを言うと、考えすぎだろ(笑)とちゃかされたりすることも多い。真面目なことを言えない空気がある。

別に全部真剣に聞いてほしいわけじゃないけど、「ああ、なんとなくそれわかる」と返してくれる人と場所がないと自分の意見をまとめて発信しようという気にならない。どうせ何か考えたって意味がない。真面目に考えたって恥ずかしい。陰キャ。と無意識に思ってしまうと考えるのをやめてしまう。考えることを辞めると脳はどんどん溶けていく。ソースは城姫クエストを一日中やってた頃の僕。

さらには行動をし、豊富な経験を積んだからといって、年をとってから考察や主張が出きるのだろうか。自分とは違う意見を採用しなくなったり意固地になってたりしてもおかしくない。そもそも考える余裕がない状態になるかもしれない。大した経験がない若者のうちに物を言っておいたほうがいいんじゃないか

せっかく人間という高等生物に生まれ、現代日本という衣食住インターネットに恵まれた時代に生まれてきたのになんで思考しないんだろうと思う。今が一番物質的に恵まれていて、時間にも余裕がある時代なんじゃないのか?物事を考え、考察し時には妄想に浸る絶好の時代なんじゃないのか。うだうだ考えるなという言葉に惑わされるなといいたい。金は入ってこなくても、あなたは布団に包まって思索にふけっていいんだ。

 

 

煽りや茶化しを抜きにした意見交換をしたい

働くこと、お金の使い方、痴漢問題、子供のころの意識の変化、死、最近やってるゲーム、アニメを見るのがしんどい、健康、運動

話し合いたいことなんていくらでもある。ただ面と向かって長時間話すのは身体的にも精神的にも疲弊するし、そもそもそういう雰囲気にならない。友人と集まったら下らないけど楽しい話で盛り上がろうというのが普通で、死なんてワードは一切出てこない。

意識高いね(笑) とか、経験を積んでから物を言えとか、机上の空論だとか。そういう行動こそが至上だとする雰囲気に主張したい人が圧殺されているような気がする。なんで意見を言うのにそこまで制限されなきゃいけないんだろう。

 

まとめ

働いてないのに労働について語ってよい。投票してないけど政治を批判していいと僕は思う。あえて無関心を貫く必要もないし、情報を発信するために経験を積む必要もない

君の意見には経験が足りなくて薄っぺらいという意見を華麗にスルーしていくために、今回の記事では主張する側を擁護してみた。僕は薄っぺらな無気力人間だが、僕が書いたお金にならない記事は全く価値がないとは思わない。

Twitterだと意識高いとうざがられる人はブログに思考を垂れ流してみることをお勧めする。書いている記事に価値なんかないんじゃないかと不安に思うかもしれないが、まあどうせ思考は自己満足なものなんだから経験とかなくても考えたいなら考えて発信していっていいと思う。ふらっと読んでくれた誰かの心に少しでも残れば大金星という具合で。張り切って駄文を生成していけばいいと思う。