ニートが駄弁る部屋

人生が楽しすぎて申し訳ない

生きるのに必死で死ぬことを忘れてる

8月から働き始めて2カ月とちょっと経った。

 

週に3日、1日平均6時間労働を始めてみた結果、自分の死に対する思いが多少変化している。

こんな感じ 

 

労働していなかった学生ニートの時:毎日2~3回は死を意識

労働を始めて2カ月後:3日に1回くらいしか考えない。

 

考える時間も短くなっている。昔は不老不死なり死後の世界だのを考えていたが、今は「死ぬの怖え」とか、「どうせ死ぬんだよなあ」という感情的というか浅い思考に留まっている。

 

生きるのに忙しいと死を忘れやすい。

 ホリエモンも言った。死ぬのを考えたくないから意識的に忙しくするようになったと。

 

さて。

週3で、週22時間労働という自分の状況は、社会人から見ても、週5で学校に行ってる中学生から見ても、楽そうに見えるだろうし、事実楽なほう。

そんな楽な労働でも、ニート期間より死を考える頻度が明らかに減っているので、僕以上に生きるのに忙しい大多数の人達は、いづれ自分が死ぬことや、人生の時間が有限であることを全く意識してないんじゃないだろうか

 

世間が死ぬことを意識してないかどうかは断定できない。

しかし僕の進路を心配した祖父が、僕にこう言っていた

「人生は我慢だ。我慢すれば成功する。」

「正社員からフリーターになることはできるが、フリーターから正社員になるのは難しい。だから正社員になれ」

 

まあ言ってることが論理性を若干欠いてるとはいえ、おおむね正しい。

正しいのだが、僕にとってはだから何?という感じだった。

 

いづれ死ぬので、我慢してまで自分が必要としない成功などを追う必要もなければ、人生は有限なので、とりあえず正社員になっている場合でもない。

 

自分からすれば、なに言ってるんだ祖父はという感じだったが、よくよく考えたら

「死ぬことを忘れて、リアル人生ゲームに熱中してる」のだとすれば、効率的に成功できる正社員にしか目が向かないのも分かるし、我慢が美徳という風潮になるのも理解できる。

 

そしてこれはまだ続いている世間的な意見でもある。

死ぬことと、人生は有限であることを世間全体が意識してたら、こんな風潮にはならないんじゃないか

 

もっとまじめにやれとか、我慢しろとか、みんなやってるんだぞとか

そういう言葉を聞くたびに

 

・・・・・・みんな死ぬこと忘れすぎじゃね?忙しいからしゃあないけどさ

と思う。

 

爺さん婆さんになってから、死を意識して、自分の人生もっと自分の好きなように生きてもよかったんじゃと思うの怖くないですかね