人生の短さと感動的になったほうがいいんじゃないかという話

人生って短い。
あと50年はあると思えば長い気もするが、あと18000日と言われるとちょい焦る。
自分は1日1日を、幸せ噛み締めて生きているだろうかと

猫に優しくできているか?
親が作ってくれる料理に毎回感動できているだろうか?
布団に入った時の暖かさをありがたいと思っているか?

猫はあと15年もすれば死んで二度と会えなくなる。どんなに望んでもエサはやれないし、遊んでもやれない  

親はあと30年もすれば死ぬ

自分は50年だ。

これを意識できているだろうか?

他愛もない話ができたり、猫の世話に手を焼いたり、眠気に負けてつい寝落ちしてしまったり、

そういったことが「当たり前」で「ずっと永遠に変わらない」ものだと思っていないだろうか

そういうことをここ最近寝ながら思った。
死にたくねぇなという気持ちも強いのだが、
死ぬとしたら、今をどう生きようと思うのも重要なテーマなので、ちゃんと考えておきたい

さて、タイトルについて

人生は短いんだから、いろんなものに感動的になろうというもの。

感動的というのは、もっと別の言葉に置き換えてもいい。いろんなものを大事にしようみたいな


自分はここ最近天鳳(ネット麻雀)を毎日打っているが、
月に300ハンチャンほど打ってると、一戦一戦、天鳳を打てていることが、当たり前のように感じられて、あまり感動したり、全力で楽しんで打てていない

でも有限な人生というものを考慮すると、ちょっと味気ないんじゃないかと思う。

麻雀を始めた頃は一戦どころか、一回一回のアガリに、鳴きに、面白みを感じていた。

そういう状態を、できるだけ長く維持していったほうがいいんじゃないかと。

にーとの効率化でした